玉置神社と十津川村。自宅から4時間でまさに秘境だった

これまで名前は知っていたものの、訪れる機会のなかった玉置神社と十津川村。

子供の春休み、どこか気軽に行ける場所を探していたところ、目に留まったのが十津川村だった。ネットの口コミでは「秘境」と称されるこの地。その響きに心を惹かれ、興味が湧いてきた。

とはいえ、自宅から車で下道を走ればグーグルナビで約3時間半。意外と手が届く秘境。思い立ったが吉日、行き当たりばったりの旅にはうってつけの場所だ。

α6400 / TAMRON 24mm F2.8DI III OSD

当日の朝、自宅周辺はどんよりとした曇り空だったが、それほど悪い天気ではなかった。しかし、車を走らせ十津川村へと近づくにつれて、空模様は次第に怪しくなっていく。山道を進むにつれ、雲が低く垂れ込め、ポツリポツリと雨粒がフロントガラスを打ち始めた。谷瀬の吊り橋に到着した頃には、霧がかった山々の間を小雨が舞い、しっとりとした空気に包まれていた。

そんな天候のせいか、観光客はまばらで、静けさの中に吊り橋のたたずまいがより際立って見えた。人の少ない吊り橋には、観光地というより秘境の入り口のような雰囲気が漂っており、むしろこの天気が旅情を深めてくれたようにも思う。

実際に目の前に立った谷瀬の吊り橋は、想像していたよりもずっと質素で、どこか手作り感すら漂うような昔ながらの造りだった。木の板が一枚ずつ張られただけの足場は、下を見ると谷底がはるか遠くに見えるほど高く、風が吹くたびにゆらゆらと揺れる。歩を進めるたびにギシギシと板がきしむ音が聞こえ、足元を見れば、ところどころ板が古びて黒ずんでいる。もし腐っていたら――そんな不安が一瞬よぎるが、不思議とそのスリルが怖さを越えてワクワクに変わっていく。

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この吊り橋に足を踏み入れた瞬間、ふと頭に浮かんだのは20年ほど前に訪れたネパールでのトレッキングの記憶だった。あの時も、幾度となく吊り橋を渡った。渓谷を越える度に現れる橋はどれも意外に立派で、金属製のワイヤーがしっかりと張られ、床面もしっかりしていて安心感があった。それに比べると、谷瀬の吊り橋は実に素朴で、むしろネパールの橋の方が近代的にすら感じるほどだ。

とはいえ、見た目以上にしっかりと作られているのは確かだろうから、慎重に渡れば問題はない。どこか頼りなさげなその姿が、かえって自然との距離の近さを感じさせ、記憶に残る経験となった。無事に渡りきったときには、なんとも言えない達成感が込み上げてきた。少しだけ濡れた衣服とともに、心にはしっかりと十津川の山々と吊り橋の記憶が刻まれた。

笹の滝への道中にて
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谷瀬の吊り橋を後にして、次に目指したのは「笹の滝」。ネットで見た写真では、深い山の中に静かに佇む美しい滝の姿が印象的だった。しかし、空模様は依然として小雨交じり。天気が悪い中、険しい山道を歩くことにならないかと少し不安を抱えながら車を進める。

実際に笹の滝へ向かう山道は、想像以上にワイルドなルートだった。舗装されているとはいえ、道幅はほぼ車一台分。ところどころ苔むした箇所や水が染み出している部分もあり、タイヤが滑らないよう慎重にアクセルを踏む。しかもガードレールはほとんどなく、道の端はすぐに谷へと落ち込んでいる。カーブを曲がるたびに、もしここで対向車が来たらどうしよう、と緊張が走る。運転に自信のない人には、かなりハードルの高い道だろう。

幸いなことに、この日は運が良く、対向車とすれ違ったのは一度だけ。それでもすれ違いには神経を使い、冷や汗をかく場面もあった。翌日に走った玉置神社への道も山道だったが、それと比べても笹の滝への道は一段階上の“山道レベル”。視界の悪い雨天ということもあり、より一層ハードに感じられた。

これから訪れる方には、天候と車のサイズ、そして自身の運転技術をよく見極めたうえで計画されることを強くおすすめしたい。とはいえ、慎重に進めば問題なく辿り着ける道でもあり、その先に待っている滝の姿を思えば、冒険心をくすぐられる道のりでもある。

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翌朝は早くから玉置神社へ向かった。前夜の雨の影響で、神社へ続く道には霧が立ちこめ、まるで神秘的な世界に誘われるような雰囲気だった。事前に聞いていたほど険しい山道ではなく、道はしっかり舗装されており、昨日訪れた笹の滝への道と比べるとかなり走りやすい印象だった。ただし、対向車も多く、カーブではスピードを落として慎重に走る必要がある。私も一度、ヒヤリとする場面に遭遇した。

信仰心という点では、私はほとんど持ち合わせていないような人間だ。そんな私にふさわしい(?)出来事として、駐車場から神社へ向かう途中、息子のスニーカーの片方が崖の下に落ちてしまうというハプニングが起きた。結局、息子は靴下のままでお参りすることになってしまった。

玉置神社へ向かう道
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「十津川村」という名前の響きからして、どこか特別な場所という印象を受けるが、実際に足を運んでみて、そのイメージは決して間違っていないと感じた。村に足を踏み入れた瞬間から、空気がどこか澄んでいて、車のエンジン音すら場違いに感じられるような静けさが広がっていた。やはり「秘境」と呼ばれるにふさわしい雰囲気で、何よりもまず、圧倒的な自然の存在感に心を奪われる。人の気配はまばらで、見渡す限り深い山々に囲まれている。人口密度も非常に低く、まるで時間がゆっくりと流れているかのようだった。

十津川村の風景
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私自身も現在、いわゆる“里山”と呼ばれる地域に暮らしており、日々自然に囲まれてはいる。しかし十津川村の自然は、その「密度」も「深さ」もまるで異なっていた。どこまでも続く緑の重なり、そしてそれを貫くように流れる清らかな川。コンビニはもちろん見当たらず、村に一軒だけある小さなスーパーも、地元の人の暮らしを支えるために静かにたたずんでいた。そんな風景の断片断片から昨年訪れたラオスの山中にあった村を思い出したりもした。

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このような環境は、探せばまだ日本のあちこちに残っているのかもしれない。しかし、実際にそこで「暮らす」ことを想像してみると、ただ旅で訪れるのとはまったく違う覚悟が必要だと感じる。日々の買い物や医療、通信といった現代では当たり前と思われがちな生活のインフラも、この地では限られたものになる。便利さを手放す代わりに得られるものが何なのか――それは、人とのつながりや、自然と共に生きる実感、あるいは静かで豊かな時間なのかもしれない。

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もし可能ならばこんなところに一度住んでみたい――そう思うのは、やはりわがままなのだろうか。非日常の旅の中で感じたこの静けさや美しさが、日常になったとき、果たして自分はそれを心から受け入れられるのだろうか。不便さに苛立ち、孤独を感じることもきっとあるだろう。それでも、朝霧の中で目覚め、川の音を聞きながらうとうとするような暮らしを思い描くと、どうしようもなく心が惹かれてしまう。

もちろん現実は甘くはないし、今すぐに生活をまるごと変えることなどできるはずもない。それでも、いつかそんな暮らしを選ぶ日が来たとしたら――この十津川村で感じた感覚は、きっとその背中をそっと押してくれる気がする。